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5周年に想う:「戦争」とこれから

終戦記念日をウィルウィンドの設立記念日にしてよかったと毎年思う。
今年もまた、その想いは一段と強い。

私が戦争について本気で耳を傾けはじめたのは
お恥ずかしながら、ウィルウィンドをはじめてからのことだった。

それまでは、戦争というものに
「意識的に触れなければ」という「義務感」があった。
戦争に人一倍興味があったというのではない。
ただ、目をそむけてはバチが当たるような、そんな気持ちから、
テレビの特集や戦争映画は努めて見るようにし、また本も読んだ。
でも、なんだかちょっと苦手だった。
まずは何より戦争は苦しくて悲しい。
そして時にお涙ちょうだいになったり、制作者の意図を感じたり
また、「今の若いもんは」という枕詞を背後に少しだけ感じたりすると。。
「戦争を知らないということをいったいどうしたらいいのだ」と、
誰ともなしに恨めしく思うこともあった。

ただ、そうはいっても、その苦手意識と向き合わなければ
その先がないことも、なんとなくわかっていた。
日本の未来を想い、家族が幸せに暮らせることを願い、文字通り命を懸けた先輩たち。
私にはもっと感じなければいけないことがある。
知らなければいけないことがある。
覚悟しなければいけないことがある。
苦手意識を持ちながらも
この意識が私自身の発展途上の産物であることを知っていて
その先には、恐らく私がまだうかがい知れない本質がある。。。
そのことと向き合わずして、ウィルウィンドはないと感じていた。

「人類このままでは滅びてしまう」という危機感からはじまったウィルウィンド。
だから、真剣に「いのちをつなぐ」ことをみんなで考えようよ。
そのためにも「想いをつなぐ」ことから感じていこうよ。

そのことをライフワークにしようと思った時
そしてウィルウィンドの設立登記日が8月中旬になりそうだということがわかったとき
私自身にも、そしてお天道様にも絶対にごまかしのきかない「8月15日」という日を、
ウィルウィンドの設立日にしようと決め、法務局に届け出た。
「先輩たちの想いと向き合い、つなぎ、そして恥じない未来を創ります」と。

あれから丸5年がたった。

ウィルウィンドをはじめてから、ようやく戦争に生身の自分で向き合った。
テレビを通じてでも、本を通じてでもない。
自分のこの目と耳と、そしてその場の空気と湿度と匂いとで、
戦争そのもののお話はもちろん、
沈黙の中に潜む、言葉にならない多くの先輩方の想いをうかがってきた。
この5年で、靖国には何度も行った。はじめて広島にも長崎にも行った。
呉の戦艦大和のミュージアムにも行ったし、特攻基地であった鹿児島の知覧にも行った。

今、5年経って、あの苦手意識は姿を消した。

この5年間で戦争は「他人事」から「自分事」になった。
もちろん、体験もせずに戦争がわかったなどと言うつもりはない。
ただ、私自身、戦争から求めたいと思うものが変わった。
先輩方の体験を追体験しようとするのではなく
皆さまのお話から、私自身を見るようになった。

私を変えたきっかけになったのは、むしろ戦争という非日常ではなく
現在とほとんど変わりのない、戦前のごくありふれた豊かな日常を
頭ではなく心で知った時だった。
自分の学生時代とほとんど変わらない制服姿で笑う女学生の写真を見た時。
演劇部だった自分の高校時代と変わらない豪勢な舞台衣装を身にまとった
70年前の学生たちの写真を見たとき。
その写真を見ながら、日々の暮らしや悩みの話を「直接」楽しくうかがったとき。
50歳以上も年齢差のある方と、同じ笑いのツボをもって腹を抱えあったとき。。
その感情が自分のそれと次第に重なり、その輪郭がぴたりと自分と合わさったとき
自分と変わらぬ日常の中で訪れたあの戦争とは
いったいなんだったのか。。。という疑問が
自分自身に舞い戻ってきた。
そして、戦争に巻き込まれたという感覚も、
当時の世の中に対する抵抗感や違和感や無関心も、
さらに愚かさや不甲斐なさややるせなさや悲しみも、
そして高揚も、迎合も、戦争を引き起こした感情でさえも
全部そっくり自分の中にある感情だということに気がついてきた。

テレビを見る目も変わった。
「他人事」のストーリーを聴く場ではなく
自己対峙の場になった。
戦争は誰のせいでもなくて
人間の投影で、自分自身の投影で、
自分がフタをしようとしているすべての感情の存在を表面化させ
気付かせてくれる「自分事」になった。

以来、以前感じていた義務感のような動機からではなく、
これからも「自分事」として、自分のために、未来のために、
戦争の話はもちろん、より多くの方の話に耳を傾け、
そこから学んだことを元に行動につなげたい、という思いを強めた。
自分事となったときに「想いがつながり」、
そして、行動したときにはじめて「いのちがつながる」のだと。

今、5周年を迎えたウィルウィンドにおいて、心境の変化を感じている。
それは、新しい未来を行動によって創っていくためには、
一人でも多くの人と一緒に、ウィルウィンドもやっていかなければならないということ。

このことに気づかせてくれたのは、設立5年目にして出会ったメモロだった。
ウィルウィンドはこれまで個人商店の域を出ずに活動してきた。
一方のメモロは、責任を持って存続発展させていかなければならないもの、
創設者や賛同者や仲間たち、そして未来の子どもたちから託された「預かりもの」だ。
多くの人が自主的に動き、発展していくうねりを感じる。

そう、「人類このままでは滅びてしまう」という危機感にみんなで立ち向かうためには、
一人でも多くの仲間とともに
一人でも多くの人の想いをつなぎ、バトンを引き継ぎ、
そして未来を創っていかなければならない。
一人でも多くの人とメモロのように、ウィルウィンドもやっていきたい…
そんな感覚を今、掴みかけようとしている。

ウィルウィンド、メモロ共に、
「世代を超えて記憶と想いを引き継ぐ」というテーマで共通している。

ウィルウィンド設立5周年にして、ポストの表札を変更した。
滅多にポストの表側などに回らないのに、たまたま8月15日当日、
管理組合のポストに投函しなければいけない書類があって、表側に回り込んだ。
そこには5年前に差し込んだ「有限会社ウィルウィンド」の文字が時を刻んでいた。
そうだ、今日、これを新しく変えよう。「メモロ」を書き加えなければいけない。
今、メモロにはお金がなくて事務所がない。
だから一次的な間借り場所として、ウィルウィンドの住所を提供した。
社会から、未来から、みんなから、大切な預かりものとして引き受けた「メモロ」と
まだ社会の公器に脱皮させきれてはいないけれど、多くの方からご支援をいただきながら
今後はメモロを見習って頑張りたいと思っている「ウィルウィンド」。
ウィルウィンドで蓄積した5年間をメモロで活かし、
メモロから得る新たな気付きをウィルウィンドに活かす。
表札を入れ替えると、ウィルウィンドもメモロもすべてひっくるめて
一層、私的な感情だけで動くわけにはいかないという覚悟が、腹の底から湧いてきた。

これからも戦争を経験された先輩方、犠牲になった多く方々の心の声
そして皆さまからのご指導ご鞭撻にしっかりと耳を傾け
次の5年間をかけて、世代を超えて想いをつなぐ「仕組み作り」に
一人でも多くの人たちと手を携えて精を出したい。

そんな想いを新たにした、ウィルウィンド5周年と65回目の終戦記念日。

今後ともメモロ、そしてウィルウィンドを、どうぞよろしくお願いいたします。

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