「NEXT WORLD 私たちの未来」を観て

2015-01-03

1月3日放送、NHKのNEXT WORLD「未来はどこまで予測できるのか」、おもしろかったです。

 

人工知能が急速に発達し、全人類の知能を超えるシンギュラリティを迎えたあと?の世界について、今までぼんやりとしか考えられていませんでしたが、今日のNEXT WORLDの2045年のドラマを見て、あ、大丈夫、少なくともあんなふうにはなっていないはず、と思えてほっと一安心しました。

製作者は今回、徹底的なリアリティを求めたのではなく、「効率を求める人間」という側面のみにフォーカスして人工知能を発達させた場合にどうなるのか、という青写真をアンチテーゼとして見せてくれたのだと理解しています。

少なくとも言えることは、人間は当然ながら「効率」のみを求める動物ではなく、無駄といえるものの中にもいろいろな機微を感じ心を震わし生産性のまったくあがらないことにでも時間を費やしたくなる生き物です。

そこにはマズローの欲求五段階説の社会的欲求や承認欲求、自己実現欲求があるわけで、それは今後人間が人工知能と向き合う中で、絶対的に計算式に取り入れていく要素だと感じましたし、そう考えると今後は、人間に「幸福感」をもたらす各種欲求要素の研究がもっと盛んになる気がしました。

当然、人間には「操られたくない欲求」もありますから、単純に幸福ホルモンである「セロトニン」「ドーパミン」「エンドルフィン」あたりを電気信号で脳に発生させるという解決策も出ないでしょう。(出たらそれはきっと「麻薬信号取締法の下取り締まられるはずw」)

また、健全な達成感は、それに見合った苦労とセットであることなどがきちん数値化して見直されると、大きな達成感を得るためにやたらと苦労をしたがる人類ドメインが現れる社会というのもまたおもしろかったりします。

 

☆☆☆

 

さらに、人類の「進化」とはなんであるのかが活発に議論され、人類の進化を促す人工知能が次々と考案されていくような気もしてきました。

今予測され恐れられている人工知能は人間が支配されたり、人間の退化を促すものが多いですが、そこまで私たちはバカではないはずだと楽天的な私は信じていますし、信じるもなにも、私たちがそういう未来をこれから創っていく当事者なのですから、自分の頑張り次第です。

人類の進化という話をもう少しすると、人工知能が微細化し、私たちの生体エネルギーを電源にできるようになると、人間も基本的に電気信号で全身がコントロールされていますから、そういう意味では、人間の身体と人工知能との一体化が進んで、お互いにお互いを高め進化させ合うサイボーグの世界への進化はあるかもしれません。

またはサイボーグ化は避けようという道を選んだとしても、人工知能によって人間本来の力を取り戻すような補佐教育を人工知能が担い、退化してしまっていた各能力が再び(?)目を覚まし、人間が動物や植物、そして宇宙人?と話せるようになるかもしれません。

効率を追求した結果、多くの失業者が出るというのは、過渡期には一時的に起こるかもしれませんが、幸福感や人類の進化、哲学について散々議論した人類は、それらのプログラムを組み込んだ人工知能を作り、その人工知能が私たちでは考え付かないような「より人々に幸福感をもたらす社会」を導き出してくれて提案してくれるかもしれません。

いや、でもそれには「操られたくない欲求」を持つ我ら人間が反発するかな?w

戦争や紛争、社会問題、各種地球課題の解決策を、全世界的情報を一人一人の心情も合わせて網羅的に熟知した人工知能が見せてくれたら、いったいどんな提言が出てくるのか、それもそれで楽しみです。

映画、マトリックスの世界では、人工知能というコンピューターに支配された人類が、コンピューターの電源に使われていました。

寝かされて夢を見させられている間に発せられている人間の生体エネルギーがコンピューターの電源として使われていたわけですが、コンピューターは人間に幸福な夢を見させても長生きしない(=電源として長持ちしない)ことを途中で学び、電源の寿命を延ばす方法として結局、人間に適度なストレスを与える現代(21世紀初頭頃?)の生活、つまり家庭があり仕事があり喧嘩があり愛があり挑戦があり挫折があるランダム性のある生活を夢として見せていました。

あのときも人が生きるとはどういうことかとう点においてなるほどーと感心しましたが、人工知能の話になるとき、今後なにが人間らしく生きるということなのかという宗教や哲学や心理学、文学や芸術などが見直されていくという恰好の機会になりそうな気もしてきました。

 

☆☆☆

 

長文の妄想になってしまいました。

 

・・・こんなに突っ走ってしまったのも、ひとえに、ドラマが「現在形」や「過去形」で、30年後の未来を人の心情と共に描いてくれたからだと思います。

この既視感がまさに現在提供しているプログラム「未来新聞」を書いたり読んだときに起こるもので、「現在形」や「過去形」で臨場感を持って「未来に生きる」と、これは違うとかあれは違う、だったらこうなってるはずなどと、次々とアイデアが誘発されます。

どんな適当な未来でもいいから(と言ったら失礼ですが)なんでもいいからそれを一旦「現在形」「過去形」にすると、そこから見えるものがあるのだということを、未来新聞プログラムを提供する側としてあらためて感じた次第です。

 

☆☆☆

 

シンギュラリティが起こるような時代に生まれてきたことは本当にラッキーです。

もし怖いと思っている方がいたとしても、だったら自分の手で怖くないように創ればいいだけです。

人類に好奇心と探究心がある限り、シンギュラリティへの流れは止められないと思いますが、叡智を合わせれば、自らの手で創った人工知能に滅ぼされるなどということはなく、きっと新たな幸せと進化を創り出せるはずです。

未来予測という言葉はあまり好きではありません。

予測もなにも、未来を創るのは私たち自身です。

雅な平安時代やルネッサンス時代、大変革期の幕末に生きたかったなと思ったこともありましたが、なんといっても今直面しているのは人類が人類の殻を破るか否かの瀬戸際、場合によっては種としての突然変異ともいえるようなステージにきているのかもしれず、それをまさにこの時代を生きるものとして創造できる側にいるのが今なのだと思っています。

一つ「人工知能」を語る上でどうしても気になるのが、いつも人工知能が人類の敵になってしまう未来予測ばかりが目立つこと。

たとえば今回のドラマにある「効率の追求」という一側面や、マトリックスに見られる共存とは逆の「征服欲」や「戦闘本能」が触発される人工知能との関係性ではなく、もっと愛とか絆とかつながりとかを求める人間をいう全体性をも知る人工知能と共に描き出すバラ色の未来像があってもいい。

変化の大波が来ているのだとしたら、それに抵抗していたって無駄なのだから、きれいに乗って素敵な形の波に変えてしまう方に、せっかく人類に与えられた「創造力」というものを使ってみたい。

 

人類を叡智と自分を信じて、未来を創る仕事にこれからも携わっていきたいと思いました。

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