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弊社創立記念日にあたって

8月15日の終戦記念日と弊社創立記念日にあたって、初心にかえって徒然に考えたこと。長文だけど、今の気持ちとしての備忘録。
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20代の頃…どうして祖父母、祖祖父母たちの世代は戦争を止められなかったのかと、ずっと考えていたことがありました。軍部の暴走を政府が止められなかったからとか、そんな他人事の話ではなく、国民一人一人はそのときどうしていたのかということ。心のどこかに、「私が当時生きていたら、戦争には絶対加担しなかった」という思いがあったからです。その一方で、だったら私は非国民だと言われても抵抗できたのかとか、それ以外に戦争を阻止する方法を思いつけたのかと問われれば、答えを出せない自分もいました。私なら加担しないと思う反面、そんなふうに先人と自分とを切り分けた感情を持つことにも、また違和感を感じていました。
ウィルウィンド設立当初、NPO法人「昭和の記憶」や、自分史・家族史製作を通じて、100人を超える人生の大先輩の昔話、戦争の話を伺いました。未来のために遺すべき話があるという使命感もありましたが、戦争を大人として生き抜いた方々は、戦争が起こったことについてどう感じているのかを知りたいという思いもありました。でもその問いは、今と変わらない戦前の日常生活の様子を伺う過程で、かき消されていきました。こと、戦前に女学校に通う方の演劇部の写真を見たときには、自分の演劇部時代の写真かと見まごうばかりの豊かさに息を飲みました。私の時代と同じ、サテンやオーガンジーをふんだんに使った中世ヨーロッパ風の豪華な手作り衣装に包まれた部員たちが、私の時代と同じ笑顔で笑っていました。今と同じ、一抹の不安もあれど楽しく過ぎていく日常が、ある日を境に消えていった怖さが押し寄せてきました。他にもお国のため、家族のために戦地に行った方々、お医者様、技術者、学校の先生、子育て中のお母さん…いろいろな先輩方のお話を聴きました。そしてその方になりきった一人称の文章で各人の言葉を書き起こすうちに、戦争はますます自分事となっていきました。軍で指揮を執っていた方の苦悩でさえ、私の苦悩と重なりました。自分もあの時代に生きていたら、きっと戦争に加担した一人だった。そう確信しました。
今、私たちは大量生産大量消費の海でもがいています。地球が1つしかないのにも関わらず、今の日本の生活は、地球の一年間の再生能力の2.8個分を使っているといいます。私も、便利だから、楽だから、綺麗だから、安いから、美味しいから、わっ、ものがあふれた、断捨離だ、新しい収納を買って整理しよう…と、地球の再生産能力を大幅に上回った消費と排出を繰り返しています。
今、戦争が日本で起こっていなくても、私は今この瞬間も戦争に加担しています。今ここで排出するCO2が温暖化を進め、地球のどこかで湖が干上がり、水辺だったはずの村から遠く離れたところに水汲みに出される子供たちは学校をやめ、村で暮らせなくなった若者は都市に流出しています。そんな若者が集まる都市ではスラム化がすすみ、過激派が若者をスカウトして憎悪のテロが繰り返されています。私が今このデスクで使っているものの何かが、着ているものの何かが、食べているものの何かが、劣悪な労働環境下で生産されたものなら、そんな貧困ビジネスは戦争の温床です。
かつての大戦もそうであったように、今の貧困も、テロも、格差も、高齢化も、教育も、食も、生物多様性も、エネルギーも、犯罪も、そして私自身の在り方も、国内外問わず、地球上のあらゆる課題は、あらゆる人の在り方すべてと繋がって出来上がっています。自分はその輪の中の1つ。そして、自分の奥底を見つめたとき、自身の中に交錯するポジティブとネガティブ、両方の感情が、この世界にありのままに反映されていることを感じずにはいられないのも、また奥深きところです。
世界は自分の写し鏡です。誰かを責めても、分断を起こしても、事態はよくなりません。みんなその人の正義があって生きている。それぞれの視点で、それぞれの立場から目の前のことをよくしようと一生懸命生きている。彼らは私で、私は彼ら。あの大戦の原因にも、私はいる。そして今も私はどこかの国の戦争をきっと生み出している。人が人として生まれた意味をもう一度考えたい。私たちには、もっとよきことができるはず。なんのためにここまで進化してきたのか? これが作りたかった未来なのか? 戦争で生きたいのに生きられなかった人たちが願った未来なのか?
そう、そして世界中の人も、同じことを思っていました。
その想いが、SDGsのおおもと「2030アジェンダ」の前文に記されています。
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外務省サイトより転載
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2015年9月25日 第70 回国連総会で採択
我々の世界を変革する:持続可能な開発のための2030アジェンダ
[Transforming our World] (仮訳)
前文
このアジェンダは、人間、地球及び繁栄のための行動計画である。これはまた、より大きな自由における普遍的な平和の強化を追求するものでもある。我々は、極端な貧困を含む、あらゆる形態と側面の貧困を撲滅することが最大の地球規模の課題であり、持続可能な開発のための不可欠な必要条件であると認識する。すべての国及びすべてのステークホルダーは、協同的なパートナーシップの下、この計画を実行する。我々は、人類を貧困の恐怖及び欠乏の専制から解き放ち、地球を癒やし安全にすることを決意している。我々は、世界を持続的かつ強靱(レジリエント)な道筋に移行させるために緊急に必要な、大胆かつ変革的な手段をとることに決意している。我々はこの共同の旅路に乗り出すにあたり、誰一人取り残さないことを誓う。 今日我々が発表する17の持続可能な開発のための目標(SDGs)と、169のターゲットは、この新しく普遍的なアジェンダの規模と野心を示している。これらの目標とターゲットは、ミレニアム開発目標(MDGs)を基にして、ミレニアム開発目標が達成できなかったものを全うすることを目指すものである。これらは、すべての人々の人権を実現し、ジェンダー平等とすべての女性と女児の能力強化を達成することを目指す。これらの目標及びターゲットは、統合され不可分のものであり、持続可能な開発の三側面、すなわち経済、社会及び環境の三側面を調和させるものである。これらの目標及びターゲットは、人類及び地球にとり極めて重要な分野で、向こう15年間にわたり、行動を促進するものになろう。
(つづきはこちら
https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000101402.pdf…
JKEF2faqaChLVc1RCoe4u74JHLk26jB8Th__QfQmM)
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この世界を持続可能で、誰一人取り残さない形に変革するための決意と覚悟。
やっぱりすごい。人類捨てたもんじゃない。
これを世界193ヶ国で合意したのです。人類みんなで決意をしたのです。
私たちの意識が、このままではいけない、自分たちは変わるのだと宣言したのです。
なんといっても私たちは、その前の15年間で掲げられていたMDGsの1つ、極度の貧困の半減を、見事に達成しました。栄養不良の人の割合も、低体重の子の割合も、ほぼ半分になりました。積み残し課題はあれど、MDGsの成功を持って、人類は自信をつけました。だからもっと野心的に先進国も巻き込んだ、経済界も巻き込んだ本気で世界を変革するためのSDGsを掲げました。
みんなで世界を一気に変える大チャンスの到来です。
私は人間の可能性を信じています。自然が大好きです。進化を重ね、多様に分岐し、美しい形を織りなしていく。人間だって大自然です。だから、胸に手をあてれば自ら滅びる道は選ばないはず。自然と共鳴しながら答えを見つけ出せるはず。さらに私たちには好奇心も備わっています。解決したい不便、おもしろそうなこと、不思議なこと、どんどん探求した結果、科学技術を手にし、フロンティアを開拓しています。私たちは求めて求めて進化して、こんな大きな脳を手に入れたのです。
そして脳は知りました。私たちはモノでは満たされないのだと。地球を壊しては、成り立たないのだと。誰かがどこかで悲しんでいては、決して真の幸せは得られないのだと。道に捨てたプラスチックが、川に流れ、海のマイクロプラスチックとして魚に入って私たちの口に戻ってくるように、世界のすべてはつながっているのだと。
だれも、課題だらけの世界を作りたくて作ったのではありません。目の前のことをよくしたい、おもしろい、楽しい、あれがほしい、これもほしい、誰かのために頑張りたい、幸せになりたい、そんな無邪気な一心で今の世界を作ってきました。
だとしたら、これからはどうすればいいのか。
私は、人間の根源的欲求をもっと広い範囲に広げ、掲げていけばいいのだと思っています。私は思うのです。これまで、誰も世界を悪くしようとはしていなのに、この世界が課題で溢れてしまったのは、一人一人が無邪気に求めたものの範囲が小さかったからだけなのではないかと。こんな世界にしたい、という思いが自分のためだけだったり、家族のためだけだったり、自国のためだけだったりと、狭過ぎたのではないかと。
そこをあと一歩、いや、あと十歩広げる。世界のためにまで、広げる。人類のためにまで広げる。宇宙だっていいし、いのちあるすべてのもののためだっていい。みんなが胸に手をあて、本当にほしいものを考えたとき、願うのはきっと同じようなこと。自分だけがよくて、周りが不幸では、人は心から幸せを感じられない。自然の一部である人間が、同じ自然の仲間である動植物がいっぱい死んでも平気なはずはない。大切な家族を守るように、世界中の人も、この地球全体も、守りたい。幸せにしたい。そのために力を出したい。そして楽しみたい。
そう、私たちはSDGsで掲げられたように、誰一人残さない、持続可能な世界を願っていいのです。
今ある、家族や友人との幸せな時間が、世界の隅々まで届くことを願い、行動に移していいのです。
そしてそんな最高の未来を描けたら、あとは、そこから「じゃあそのためにはどうなっていたらいいの?」と達成すべきことを一段階ずつ掘り下げていけばいいだけ。最初は大言壮語に聞こえていた理想の姿も、段階を刻んで掘り下げていくうちに、何段階か目に自分にもできることが出てくるはず。やりたいことが見えてくるはず。ちゃんと健全な欲も入れていい。まず家族を笑顔にしたくても、素敵な家が欲しくても、世界旅行に行きたいだって全然いい。自分のためのベクトルが、世界のためのベクトルと合っていればいい。向上心、野心、推進力はなんでも使いたい。
ただ、そんなとき、前よりもちゃんと世界は知ろう。世界はつながっている。自分の無邪気な行為が、悪気がなくても誰かを悲しませているかもしれない。自然の恵みをいただくことを超えて、過度に壊しているかもしれない。安さがもし誰かの努力や智恵、技術が生み出したものなら、それは喜ばしいことだけれど、もし誰かの犠牲の上にあるのだとしたら、そんな安さは必要ない。貴重なものは高くていい。だから「ありがたみ」が沸く。
そして、世界レベルの幸せを描いたからには、世界を知ろう。ちょっと検索すればいくらでも出てくる。現在、ロンドンやニューヨーク、パリなど欧米を中心に、世界18カ国、925自治体が気候非常事態宣言を出している。その一環でロンドン大学では、ペットボトル課金などの他、ついに学食で牛肉が出なくなった。また、人類による過剰伐採や土地転用、乱獲で、生態系は悲鳴を上げ、100万種が今後数十年間のうちに絶滅するかもしれないという警告も出ている。溢れる情報の正しさを知るのは難しいかもしれない。正しいかどうかの基準も人によって違うかもしれない。でも一番大事なことは、知ったことをベースに考え、心で感じ取ること。大丈夫、内から湧き出る直観が進むべき道を示してくれるはず。
そうした上で、小さな一歩をすぐに踏み出すことがきっと大事。全部わかってからでなくても大丈夫。間違っていたらまたすぐ正せばいい。何度も正せばいい。買い物のときに地元の野菜を捜してみよう。産地が近いほど、環境にやさしくていいかもしれない。便利な宅配をやめて、地元にある店で、地域の中で経済が潤うようにと買い物をしてみるのもいいかもしれない。遠くのものでも認証マークはついているかなと探してみよう。店員さんに聞いてみよう。我が家の目の前の大手スーパーは、他のスーパーよりもフェアトレードのものが揃っている。聞けば今から15年以上前、お客様からの「買い物を通じて国際貢献ができるパイプ役になって欲しい」という声をもらったことをきっかけに取り組みをはじめたのだそう。そう、私たち消費者は世界を変えられる。声をあげることが、企業に向けたメッセージになる。企業は顧客がほしいものを作る。私たちのほしいものが変われば、企業も変わる。洋服も、家具も、家電もなんでもそう。エネルギーもそう。銀行もそう。世界が変わらないのは、私たちがそれを買い続けているから。利用し続けているから。私たち次第で新しい経済だってまわすことができるはず。
企業に勤めていたら尚ラッキー。一人ではできない影響力のあることが出来るかもしれない。企業にはいろいろなものを効率よく生み出すための仕組みが詰まっている。そうであれば、その仕組みをうまく使って、世界をよりよくする商品をどんどん生み出せばいい。お客様と一緒になって変えていけばいい。他の組織と連携すればいい。企業を飛び出した私だからよくわかる。今の私のWILLをもって、その当時の企業のリソースを使っていたらどんなことができていただろうと。企業は個人のWILLを実現するプラットフォームになっていけたらいい。企業はお給料をもらうところでも、安定を求めるところでも、戦う相手でもなく、活用しながら一緒に世界を変えていける場所のはずです。
さらに野心を持って組織を飛び出た起業家も同じ。働き方改革で副業をはじめたい人も同じ。小さな生業を作りたい人も同じ。小さくまとまらずに、自分の欲を一度思い切り世界にまで広げてみよう。そうした上で、もう一回足元に戻って、売れれば売れるほど地元が、日本が、世界がどんどんよくなる事業を創っていけばいい。規模の大小じゃない。買う人のためにも、作る人のためにも、社会の好循環を生み出す結節点を作っていけるのが起業家であり事業家のはずです。
日本は先進国、特に欧州と比べるとSDGsで大きく後れをとっています。ドイツでは30年前からはじめた子供たちへの循環型社会の教育が、今実っているといいます。でも、日本人にはSDGsに通じる和の精神性が30年どころか古代から続いています。島国だから世界のことには少し疎くなっているかもしれないけれど、神はすべてに宿り、縁や繋がりで皆が結ばれた世界をもともと感じることができるのが私たち日本人です。先日、日本語の「こんにちは」の語源は「太陽さん、お元気ですか?」なのだと教えていただき衝撃を受けました。「今日(こんにち)さん」は「お天道様」や「おひさま」などに並ぶ、今も土佐などで続く太陽の呼び名です。つまり、日本人は古来から、道行く人を太陽の分身として挨拶していたということ。「お元気ですか?」は、「太陽の元の気を放っていますか?」と様子伺いをしている問いかけ。なんと輝かしい話でしょう。
外圧や危機感や課題への対処療法ではなくて、私たち日本人はもっと根源的な部分から輝き、想いを熱源として、未来への風をおこせるんだと思っています。世界に平和の風を吹かせることができる存在なのだと思っています。だから、自分の根っこに耳を傾け、未来を思い切り描いていきましょう。仕事や人生を通じて、どんな世界を作りたいのかを考えていきましょう。抜本的な変革が求められていますが、私たちの細胞が毎日生まれ変わっていることを感じれば、今この瞬間にも私たちは変われるはずです。
誰も実現したことのない、正解のない世界を切り拓くには、まずは個人の想いが、信念が、WILLが大切です。そしてそれは、自分が地球という大きな生命体の一部であることを思い出しさえすれば自然と生まれてくるはずです。太陽の分身、八百万の神の一人であることを思い出して、違和感に素直になろう。心の痛みに素直になろう。私たちは生き方の答えをすでに知っているのだと思っています。
人類を信じてはじめたウィルウィンド。
一年に一回、きちんと未来を考える終戦記念日。
気がつけばとてつもない長文になっていました。
でも、こういうのは勢いですね。今の私の立ち位置。
最後までお読みいただきありがとうございました。
こんな想いを胸に、15期目も人類の大チャンスに、楽しみながら挑んでいきたいと思います。

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